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重なりゆく裸心の鏡像

私にとって、とても大切な展覧会になった「薇満録 かいまみ 2013」。

ギャラリー入口でお客様を迎えたのは、
それぞれバラバラだけど互いの作品をずっと観てきた友人の写真家・湊 康之氏の
私についての文章でした。

私が私を語るより、ずっと私を語ってくれてるこの文章は、
この先も私を力強く支えてくれるであろう宝物となりました。

そんな宝物を自慢したくなったので、ここに全文載せることにしました。

作品をご覧になっていない方は「?」となる部分もあるかもしれません。
今後、少しずつ作品写真も載せて行きますが、
それまではこの文章で、あれこれ妄想していただくのも面白いなと思います。


それでは、私の宝物、見てください!


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重なりゆく裸心の鏡像

「鏡」である、らしい。
湧きあがったばかりの着想、いまだ屈折率の大きなヴィジョンを語りかけ、
そのひとはわたしから明確な輪郭をもつイメージの反射、を受け取るのだそうだ。
どうも、わたしは「鏡」であるらしい。
鏡は本来、黙して語らず、
ただ残酷なまでに事実そのままを映し出す存在なのであるが、
このような文章を依頼されてしまっては黙してもいられない。
だが、ここでは多くを語らず、
ただそのひとの姿を映し出すことだけにとどめておこう。

そのひとは実に「個人的」な作家である。
彼女には「個性的」という表現は似付かわしくない。
それは創造の源が、
彼女個人の、全き彼女だけの、感覚、感情、そして欲情のみに依拠し、
その作品は、自らの手で自らの感覚を悦ばすものであり、
また、飽和状態の感情が奔放に流れ出し、心身の悶えから漏れ出した、
ただその結果であるという点で、実に「個人的」なのである。
しかし、こんなにも個人的でなおかつ主観的な作品を見せつけられても、
そこに愉しさや喜び、そして共感さえも感じてしまうのは驚きである。
なにがそうさせるのであろうか。
彼女の作品の、彼女自身も自覚し得ないなにかがそうさせているのであろう。

ここで人力装置を動かしてみよう。
ハンドルを自らの手で回すことで現れる光球はふわふわと頼りなげに漂い、
手をとめると慣性の余韻を残しながら、ふふっと消えゆく淡く儚げな存在である。
なんともその姿は愛らしく、自らの手でつくりだすには適度な存在である。
それが、心地好い。
弾きすぎないピアニストのような、共感できる「人力讃歌」。
そのもったいぶった機構に反して、この、ささやかな表出が、実にあどけない。
そのあどけなさに思わず、心がほころぶ。
「人力讃歌」の作者の喜びに、その「あどけなさ」に共振してしまう。

そのような「あどけなさ」がある一方、
系統樹を逆さにしたような物体はなんと暴力的なのであろうか。
なにに欲情したのであろう。
空間の割れ目から節操なく滴り落ち、
いまなお、その空間に傍若無人と凍結し続ける見た目には美しい物体。
また、淡い色調が美しい写真には、
そのやわらかな光のむこうには、絡み合う脚がほのかに見え、
肉体の、もしくは精神のせめぎ合いが、少々おしとやかに表現されている。
欲情のスタイリッシュな現出。
そこに作者の構成力の妙を見るか、
はたまた意識的すぎる手法を感じるかはひとによって分かれるであろうが、
創造の源となった欲情と、うみだされた作品との間には
「創作面のせめぎ合い、悶え」、をわたしは感じずにはいられない。

「あどけなさ」と「悶え」、
これらふたつの作品を左右側面とする三面鏡と見立てた場合、
正面から見据えられた作者の姿、その作品とはいったいどのようなものであろうか。

ここに、整然と並べられた15枚の作品がある。
それぞれに染みのようなものがあり、
その色合い、またそれらがしるされている紙の薄い色調からは、
静かで、厳かな印象を受けるのと同時に、
感覚を、心を極度にざわざわさせる佇まいを見せる。
これまでの作品とは異なり、
素材や手法は声高に主張することなく完全なる後景となり、
爛れた染みのようなものだけが眼と心を惹きつける。
この染みは、作者の全細胞が哀しみに震え、
その細胞膜を押し通して流れだしてきてしまった、魂の涙、である。
かけがえのないひとを亡くし、一度は整理が着いたかのように思えた嘆きが、
ふたたび彼女を襲い、彼女全体を覆ってしまったときの、魂の痕跡、である。
ここでは、作品をつくるという、ある意味作為的な意識も見えず、
ただあるがままの彼女が、それぞれの紙の上に定着されてしまった結果だけを目撃することになる。
事実、必要最小限の手法が施されているだけであり、
かろうじて作品となり得ているのは、彼女の想いの強さ、なのであろう。
それにしても、この涙、彼女の涙の痕跡は、
なんとやさしく爛れているのであろうか。
この作品、彼女の涙の痕跡に触れると、わたしの心も、淡く心地よく爛れていく。
やはりそれは、彼女の真の「やさしさ」に、
この作品で直に触れてしまうことができるからであろう。
 
彼女を映し出すには、多くを語らず、という表現はふさわしくなかったようだ。
長々と記してしまったことをここにお詫びし、
そろそろ、この三面鏡を閉じたいと思う。
ご存知のとおり、閉じようと鏡の間の角度を狭めるほど、鏡像は増え、
そして、光が最も射し込まなくなる瞬間、
互いに反射を繰り返す鏡像は無限に達する。
みなさんの心の中にも、彼女の作品が幾重にも重なり、
無限に反復されることを願ってーーー。

2013年12月 
湊 康之(写真家)

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kai_t01
photo by tectakka
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個展最終日。

吉村尚子プチ回顧展「薇満録 かいまみ 2013」
@仙台ギャラリーチフリグリ。

本日最終日でした。

最終日も沢山の方々にいらしていただき、
大盛況の中で感動のフィナーレをむかえる事ができました。

足を運んでいただき、
私の空間に入っていただいた皆様、
本当にありがとうございました!!!

初めて「作品」と呼べるものをつくれたのが2000年。
生まれたときからその時の自分が投影された作品達を、
自分に正直であることを大事にしながらつくってきて、
ふと気づけば13年。

気持ちのままに、
その時その時をとどめてきた私の作品。
一つの空間にまとめたら、きっと何かがみえてくる。
そう思ったのが今回の展示のきっかけでした。

昨年4月、いろんな想いを抱えたり置き去りにしたりしながら、
生まれ育った東京を離れ、
ずっと憧れていた仙台に移り住み、あと少しで1年と8ヶ月。

いろんな事があるけれど、
ここらで一度、私自身の今までを振り返りたくなったのだと思います。

申し訳ないくらい、
どこまでも「自分のため」なのですが、

でも、「自分のため」の作業を、
いろんな方々に触れていただくことで
いろんな想いが昇華していくのです。
そうして、触れてくださった方にも、
ほんの少しでも何かしらの何かがあったら、
それは私にとってこの上ない喜びにもなったりします。

徹底的に「個」でしかないけれど、
そんなふうに存在することが、私の存在意義だと思っています。
これからも、そんなふうに続いていきたいと思います。

kaimamihana

思いがけず長文になり、自分でも驚きです。

兎にも角にも。
私の作品に触れていただき、
私を「かいまみ」ていただき、
本当にありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします!

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プロフィール

zenmaimanroku

Author:zenmaimanroku
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吉村尚子(Naoko Yoshimura)
映像、インスタレーションを中心に作品を発表。闇に隠れる光、光と寄り添う影、あらゆる想いを愛でて、撫でるかたちに落とし込む。
こどものための美術教室 「artSIZE」(池田晃一氏主宰)にてアシスタント講師として修業し、自由な表現を大切にする場作りを学ぶ。
仙台に魅せられ、東京から通うこと4年。念願叶って2012年4月より仙台住人に。

過去の作品はこちらにまとめています。↓
[薇漫録 ぜんまいまんろく]

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